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スタジアムの裏側

僕は親父に褒められたいんだろうな

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今日は、某軟式野球少年団ののOB戦があった。

40周年記念行事の一環で行われている、40時間野球の開会だった。

僕の父は、その創始者の一人であり、既に故人だ。

このイベント推進委員長の方が、僕の父が、前日に夢に出てきたと言っていた。

 

「俺も行って良いかなぁ」って、言っていたそうだ。

 

ぜひ来てくださいと、夢で答えたようだ。

その声は、涙声で震えていた。

この日に集まった人達大半が、父の教え子でもある。

 

ああ、我が父は偉人なのだ。

局地的かもしれないが、偉人なのだ。

 

そして、父が夢に出て、この場にくるということは、間違いなく僕の立ち位置はサードとピッチャーなんだと思った。

これは、自分で言わなくても勝手にそうなる。

 

余談だが、僕の学生時代のポジションは、自分の公式サイトでは小学校はレフト、サード。

それ以降はキャッチャーとファーストそしてピッチャーだ。

 

僕は、初回はレフトの守備についた。

 

サードは、僕の同期。

野球は久々で、次回の守備に言われた。

「変わってくれないか」と。

 

そして、2イニング目でサードになった。

打順は巡り合わせで4番だった。

 

4番サードは、僕の父の定位置だ。

 

もう、そうだろうと思った事がそのままきた。

 

不思議だとは思わない。

そういう運命に、僕はある。

 

そして、父が僕の試合を観るときは。

 

いつもこの球場の三塁側、スタンドにちょいっと座って、静かに見ていた。

 

僕は、今日は父の代わりに試合に来たんだと思う。

サードでの守備は、8回の守備機会があり、失策は1回。

もっと来いと思うほど、入れ食い状態。

エラーの一回は投げてたピッチャーがコントロールひどすぎて、守るリズムが取れなかったときのみだ。その子はだいぶテンパってたので、サードから声を掛けてあげて、投手交代を申し出た。

多分、僕が投げる姿を、きっと父が見たかったのだろう。

 

全て、思った通りになっている。

 

僕は上手く投げていたのだろうか。

アウトローの制球が、まあまあ乱れた。

チェンジアップを使いたかったなあー。

緩急こそが、持ち味であり教えだったからな。

 

こうして書いていると、涙が出そうだ。

涙ぐんでるものw

 

サード守れて、ピッチャーやって、打順は4番。

完全に僕の親父です。

 

投げるのは、ストレート一本勝負でやった。

僕の持ち味は緩急。

それができないとツラいんだけども、とりあえずアウトローを上手く使いたいと意識した。

残念なことに、途中から制球が乱れて細かいコントロールがついていなかった。

 

とはいえ、投げて、守って、打った。

 

父は、喜んでくれただろうか。

 

数々の人を育てた父。

数々ひとが、今だに墓参りに来てくれる父。

 

大した選手になれなかった僕。

あの父にして、この息子という事。これが申し訳なかった。

弟は、期待に応えた。

打撃センスは天才と言われた弟。

 

僕にはコンプレックスがある。

兄より野球が上手い弟。

でも、投手は誰でも出来るわけではなく、それが僕の唯一の拠り所だった。

肩を壊して、ほぼ、その拠り所も失った訳だけど。

 

時を越えて、30も下の後輩、もはや子どもと対戦するのって、なかなかない。

甘い球投げたら、外野に飛ばされるのですよ。

屈辱ですよ、全力とか関係なしに。

そんなのは言い訳にならないから。

 

負けず嫌いが起きるのも実感するし、そんな中で指導者はどんなメンタルであるべきか考える機会にもなる。

 

とりあえず。

親父超えたい、なにかしらで。

 

夢に出てきて「よく頑張ったな」って、言われたいわー。

野球に行きたいじゃなくて、よく頑張ったな、よく育てたなって言ってもらえるように。

 

精進します。