お酒について考えている。
お酒は百薬の長から始まり、会話の潤滑油であったり、宴席で必要不可欠という位置付けで存在しているものだと思っていた。
実はそれは間違いだったらしい。
僕は、大きな病気に遭った過去がある。
あの大病を患った後の1年間は、一切飲まなかった。
お酒は控えろと言われていたからだ。
お酒を止めろとも言われた。
そんなほとぼりが冷めつつある中、少しずつ飲酒を再開した。
紆余曲折あり、今は週末、土日だけ飲んでいる。
思い返すと様々な場面で、お酒はあった。
成人したのちに、人生の節目と共に、常にお酒はあった。
歓喜の後に、お酒を飲んだり。
悲しみをお酒で洗い流したり。
苦労を成し遂げた後に飲んで語り合ったり。
その宴席たるや、楽しさに溢れていたり、想いを吐き出したりするのだけど。
決まって襲ってくる、翌日の疲労感と空虚感。
あの祝宴の後、何故にこんなダメージを負っているのか。
深酒によりそのツラさを味わい、もう二度と飲まないと決めたその後。
また人は、僕はお酒を飲んでいる。
美味いと言いながら飲んでいる自分がいる。
今まで、お酒のデメリットを見ないように生きていた気がする。
果たしてお酒は飲むべきなのか、自分に本当に必要なのかを疑問に思ってはいたけれど、僕の楽しみのひとつだし・・・という様に心が右往左往していた。
そんなとき、そんなタイミングで。
「中田敦彦のyoutube大学」にて、お酒をやめる、という動画を見た。
衝撃を受けてしまった。
それは、タバコを止めた時に似ていた。
僕は、32歳でタバコを止めようと決心して止めたのだけど、その時はある一冊の本を手に取って、止めることができた。
「読むだけで止められる禁煙セラピー」
アレン・カー氏の著書だ。
今だに販売していることに疑問はない。
とても効果てきめんな本だと断言する。
それ以来の衝撃を持って、この動画を見た。
僕は、止める気もなかったお酒を、止めるのか。
ついにお酒に引導を渡す日が来たのか。
そんな心持ちで、見ていた。
動画でも言っている通り、お酒は楽しみだと感じていた。
お酒を止めることは、俺の楽しみのひとつを失うことになると思っていた。
しかし、それは錯覚だった様だ。
お酒にそう言わされているだけらしい。
もっと楽しいことは、世の中に沢山ある。
そりゃそうなんですけどもね。
中田さんの仰ることも一理はある。
お酒、辞めちゃうのかと思うと、まだわだかまりがあったりする。
それが、お酒という薬物が纏う魔力らしい。
そうなのだ。
「タバコはやめるが、酒はやめない」と、過去にタバコと決別した時の決め手がこれだった。
つまりは、タバコより酒の方が薬物としての依存性が強いことを意味している。
前日に深酒すると、翌日のパフォーマンスはガタ落ちなのは、お酒による害のせい。
じゃあ少量をたまに飲めば良いかというと、それなら飲む意味があるのかなとも思う。
お酒については、ちいさなイチを積み上げる必要はないのだろうね。
お酒は百薬の長ではなく、体に害を及ぼすものでありそれ以外の何者でもないと断言された。
あぁ、そうなのか。
止めると決めたら、喜んでくれるのは家族。
僕は今、酒が無ければ楽しみがない、といった思考からは脱却しつつある。
やめるか、やめざるか。
その答えは、自分の中では出ている様に思う。
踏み切れないのが、弱さなのだろう。