イライラするというのは、どこから来るのだろう。
僕は、イライラしていた。
自分が思う通りにならないとき。
そういう時にイライラするのだろう。
イライラすると、いてもたっても居られなくなる気がする。
じっとしてられない。
黙っていることも難しい。
つまりは、我慢がきかない。
イライラは、怒りを誘発しやすい。
気が昂っているのだろうか。
イライラの逆はなんだろうか。
悠々、余裕、ゆとり。
こんな感じだろう。
悠々としていると、気持ちが楽だ。
悠々としていると、動きもゆっくりだ。
落ち着いて物事を見ることもできるし、考えにもゆとりがある。
全てが想定の範囲内で、自分の考えや想いと相違ない状態であれば、イライラはしない。
悠々と余裕がある状態なのだろう。
イライラしていると、空気が良くない。
悠々としていると、空気が良い。
人は誰でも、良い方が好きだ。
心地よい方が好きだ。
そんなことを書いていたら、イライラは消えていた。
そして、ふと思い出した。
堀江貴文氏が長野の刑務所にいた頃の話だ。
禁固刑で服役する場合、労働をしなくても良いそうなのだけど、1日中、ずっと部屋にいるのは、何もする事が無くてツラいそうだ。
日中は本を読む事も許されず、ジッとしているだけになる。
想像しただけでも、ツラい。
頭の引き出しに多くの事が詰まっている人間だとしても、その人にとっては既存の知識だ。
頭の中にある事全てに、目新しいものはない。
同じニュースを3回も見れば飽きる。
人は未知のもの、新しいものを常に求める事に喜びを見出す生き物だ、という典型的な例だなと思う。
西野さんのハレとケの話とも通じていて、非日常を求める事と、それが日常的になれば刺激は無くなる。
環境、生活、仕事、目標、ありとあらゆるものが刺激的であれば、イライラなんてしているヒマがないかもしれない。
そんな毎日を悠々と過ごす、ゆとりのある人でありたい。