今日、学校面談があり、妻が学校に行ってきた。
我が子ながら、息子は成績が優秀である。
娘もなんだかんだで、優秀な様子だ。
幼稚園が良かったのかな?と思っている。
今回、息子の件で一悶着があった。
いまのところ、各教科の学習理解度において、A判定を取得している。
2学期の通知表とともに面談してきたようなのだけど、先生の印象では、どうやら学習に対する意欲が乏しいらしい。
成績はいう事無いようなのだけど、その取り組みがどうかということだ。
出来るのに漢字の書き取りするとか、計算したときに「あまり」いくつ、と言う「あまり」をひらがなでいちいち書くのがめんどくさい。
そんな事を言うらしい。
宿題もなかなか手抜きのようで、日記を書きたくない理由づけで「そんなに毎日変わったことはない」「書かなくても言えば伝わる」という、ブロガーに避難を買いそうなコメントを発していたようだ。
こっちは毎日の出来事にアンテナ張りまくって、ちょっとした事を膨らませて書き残していると言うのに、このコメントはいただけない。
生きてるこの瞬間を楽しめないという感覚は、かなり勿体ない。
これは、ちょっと良くないなと感じた。
小学校で神童、中学校で中間、高校で劣等生という典型パターンになりそうな匂いがする。
親としてはそんな未来は望んではいないので、気づいてもらうことにした。
息子とゆっくり会話したのだ。
面倒くさいという考え方が、いかに危険であるかということ。
・井の中の蛙大海を知らず
・うさぎとカメ
この2つの話を引き合いにしてみた。
人が生きていく中で、楽しいことのみに没頭するのもそれは良いこと。
しかし、毎日を積み重ねていくことの尊さ。
何かの分野の才能があるとして、その才能の大半は、続けることが出来るという「努力ができることによる才能」であるということ。
才能ある人というのは、積み重ねることができる才能があるということ(ちょっと語弊はあるけど)
まずは基本的なところで、自分が置かれている環境や状況で、自分ごととして物事に取り組んで行く大切さ。
主体性を持ち、積極的な姿勢で自分の人生を生きていく土台、幹、そんなものを創り上げるというか、子どもの中に育っていく手伝いができたらよいと思っている。
可能性や良さというのは、お父さんは認めていると伝えた。
自分が子どもの時代からこれを知っていたら、という事を伝えられたなら、これ以上の事はないだろうな。