先日、初詣に行ってきた。
1月中であれば問題ないだろう、という考えのもと、毎年空いた時期に行くのが我が家の慣習となっている。
母と我が家のメンバーで、いつものお寺に行ってきた。
お参りをし、交通安全のお守りを買う。
お寺参りというのは、一度ルーティン化すると毎年同じことを繰り返しているという事に気づく。
これについては、ご利益があるかどうかもわからない。
しかし、あると思って毎年向かうし、お参りをするし、お賽銭をいれる。
人は気分で生きてるものだから、ちゃんとやったという安心感で前向きになるのならば、それだけで、ご利益があるのだと思った。
毎年引く事はないのだけど、子どもにせがまれておみくじを引くこととなった。
僕と息子は、なんと「凶」だった。
家族で2人も凶なんて、あり得るのだろうか。
考えてみれば、家族で2人が大吉ということもあるのだから、凶もあってしかるべきなのかもしれない。
でもまあ、それを認めない、という選択をすることにした。
そのあと、別のものを引いて上書きをすることにしたのだ。
そして、今年の運勢は上書きをされることとなった。
都合の良い方を、都合の良いように取るということが大事なんじゃないかと思う。
きょうが2つで、明日になる。
なんていう考え方もできるし。
自分の思い描いた目標が、今年はいまだにボンヤリしている。
そういう気の緩みが前進を止めてしまっているのかもしれない。
それに気づく事ができただけでも、普段引かなかったくじ引きをした価値というものがあったのだろうと思う。
目の前を一歩づつ、今日を一生懸命に過ごして行きたい。