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スタジアムの裏側

生産性や効率化は非生産性のためにある

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妻の実家で、休みを過ごした。

ゴールデンウィークに帰省したからだ。

帰省といっても、実際は同じ県内で隣町みたいなものだ。いうほど大袈裟なものではない。

しかし、このご時世なので往来は自主規制をかけている日々だった。

義理の父母と、孫が過ごす時間はプライスレス。普段はLINE電話くらいに留まるやりとりも、実際に会えれば本当に喜んでもらえた。

 

僕はというと、畑のお手伝いをしたり、息子や娘とサイクリングをしたり、グラウンドで野球を教えたりした。

 

その地域のサイクリングコースやグラウンドは人もまばらで空いていて、ほぼ貸切状態だった。

そのおかげで、やりたいように好き放題といった様相だ。

 

そして夜は、ゆっくりと晩酌を楽しんだ。

ゆっくり、といっても夕飯に飲まさせてもらったような状況なので、ほどほどに楽しんだ。

 

ステイホームといっても、外には出る。

日の光を存分に浴びて、風を感じていい汗をかく。家では字も書いて字体を整える。

 

やっている事はいつもの休日と大差ないのだけど、いつもと違う場所で過ごすと、思考も転換された。

いい意味で、何も考えない。

生産性とか効率化とか、そういう思考がかなり薄くて、とてもリラックスした時間を過ごせた。

仮に家がとても居心地が良いものだったとしても、景色や空気感、環境の変化ほど刺激を与えられるものはない。

そう思うと、旅行とは言わずとも、場所を変えずにひたすらに同じ場所に留まるというのは、一定のストレスとなりうる。

 

人は、自分の時間を贅沢に使う為に、日々進んで行くのかもしれない。

スイッチオフのために、普段は生産性を最大限に上げるのだろう。

突き詰めると、非生産な時間をより多く産むための、生産性や効率化なのだ。

 

とても良いやり甲斐に繋がるなと、ひしひしと感じた。