子どもの少年野球、午前練習があった。
子どもと決めたテーマは「大きな声で返事をする」という事。
キャプテンや、監督コーチ、指導者からの声がけに、返事をするというか、元気に応じるというか。
結果としては、残念ながら大きな声で返事はできなかった。
練習によるレベルアップは、少しづつしている。
それはとても喜ばしい。
でも、やると意識したらできることができないという事は、やりたくないという以外に理由はない。
それは僕の中で理解はしていたけど、本人の口からちゃんと聞くことが重要だ。
出来なかった理由を話し合った。
どうやら、恥ずかしいからという事だった。
周りの低学年の子がやってないから、自分から始めるのに抵抗がある様子。
周りの環境は大事なんだけども、浮いている事を恥ずかしいと思う気持ち、これは価値観の問題が大きい。
なんで、野球において声出しが必要なのか。
理解しないままに声を出せといっても、無理がある気がしている。
僕の考えでは、チームスポーツは声に出して共有が必要不可欠。
意識せずにスッと、声に出して伝える事ができるようにするための、日常的に声出ししている。そして、野球を始め全ての競技は礼に始まり礼に終わる。
感謝の気持ち無くしてスポーツの意義はない。
声に出して伝える、それの意味はここにある。
そのために、元気に挨拶したり、声を出して活気ある事を褒めてあげる文化。
褒められた子が「もっとやろう」と思えたり、周りがそれを見て「僕もやろう」と自然に取り組む文化。
声を出せと、命令している時点で何かが違うんだろうし、僕がそれを子どもに目標としてしまったのも、間違いなのかもしれない。
話したければ、話せと言わなくても声に出すだろう。
これは習慣を作ってあげない、大人の、僕の問題だと考える方が正しかった。
出させるではなくて、自ら、気分良く出す。
まずは自分が、自分から。
手本になれば良いと思ってやっていきたい。