女は愛嬌
良い格言だと思う。
でも、愛嬌だけあればよい。
そんなわけにもいかないだろうと思ってもいる。
小学3年の娘が、漢字テストを持って帰ってきた。
とんでもないことになっていた。
小学3年のテストは、簡単なはずだ。
今からこれでは流石に今後が大変である。
再テストが明日あるということをしらされたのが、既に21時。
我が家の就寝時間である。
しかし、そんな悠長な事は言ってられない。
ここから特訓を開始することにした。
漢字練習を始めると、少しして集中力を失い始め、ついに娘はメソメソと涙を流し始めた。
この状況で、私が娘に伝えたこと。
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宿題はなんのためにあるのか。
なんで、先生はわざわざ宿題を出してくれるのか。
それは、みんなにテストで100点を取って欲しいからだ。
一生懸命に毎日頑張って、この結果(44点)なら仕方ない。
お父さんは何も言わない。
でも、最近の宿題に対する姿勢、普段からの授業に対する取り組み。
自分自身が本当に一生懸命、真剣に取り組んだと言えるのか。
もし、一生懸命に取り組んだといえるなら、この点数(44点)を渡された瞬間に悔しくて泣いてるはずだ。
泣くのは漢字練習をしてる、させられてると思っている今じゃなくて、テストを渡された瞬間のはずだ。
この結果(44点)を受けても、しょうがない、こんなもんだ、と思ってヘラヘラ帰ってきてる時点で、普段から一生懸命取り組んでないという証明になっている。
でもまだ間に合う。
小手先のテクニックをつかって、変えたってしょうがない。
先生がわざわざ宿題を出してくれている理由、自分自身の取り組む考え方。
させられてる、やらされてるんじゃない。
自分のために自分が取り組むんだ。
新しいことを覚える喜び。
受け取り方、考え方を変えて、プロセス、過程、道筋、一生懸命取り組むっていう姿勢を身につけていこう。
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そうです。
自己啓発型、ウザめの熱い親です。
とにかく、この再テストに的を絞って取り組みました。
小テスト
間違ったところを漢字練習
小テスト
間違ったところを漢字練習
小テスト
間違ったところを・・・
で、最後に総合テストを実施。
そうです。
やれば、出来るんです。
ここまでやって、「よく頑張ったね、やっぱりできるんだね!すごいね!」
娘は嬉しくて、泣いてた。
娘は漢字特訓の最中、こんな事を言っていた
「これだけやってるんだから70点くらいは取りたい」
僕は言った
「お父さんは100点以外は考えてないし、絶対100点取れるから、そういう気持ちで頑張ろう」
そう、やればできる。
本気でやった分だけ、できたと思える。
100点が目的でなく、100点は手段。
頑張れば、ちゃんと出来ると実感して、自分の努力に自分が感動して、自分を肯定するための手段。
結果90点でも、娘は自分を褒めるだろう。
やった分だけ、ちゃんと成果になる。
努力の方向があってれば、絶対に大丈夫。
2時間で人は変われる。