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スタジアムの裏側

僕は息子に野球をやらせたかったけど、それは間違っていた。

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天気の良い休日。

雲ひとつない晴れた空。

午後の柔らかな日差しの中、僕と息子は、野球のグローブをはめて、10メートルほど離れた距離で向かい合っている。

そして、ボールは息子の手にある。

僕と息子は、キャッチボールをしている。

 

ー僕は息子に野球をやらせたかったー

 

 息子が産まれてから今まで、ずっと意識していた事があった。

「野球をやらせるかどうか」という事だ。

僕は少なからず野球に関わった人間であり、野球という競技には肯定的だ。

その反面、挫折も味わっているので、手放しに全てを肯定できるという訳でもない。

 

息子が産まれてから、しばらくは野球をさせる気満々だった。

野球以外の選択肢は結果的にあり得ないかな、と思うほどの野球右翼だった。

 

そして、事件は起きる。

息子が年長の時、キャッチボールを指導した。

それまでは家の中でゴムボールを使って遊んでいた程度だったのだが、思い切ってグローブを購入して、始めてみる事にした。

 

これが一つ目の失敗だった。

軟式ボールを息子の顔面に、しかも2回も当ててしまった。

泣きながら家に帰る息子。

軽く投げたとはいえ、トラウマになった事は言うまでもなかった。

その後はキャッチボールに誘ってもなかなか前向きにやろうとはしない。

 

ここで二つ目の失敗をした。

それに苛立ちを覚えて、指導が厳し目になってしまった。

小学校1年の時には、取れるまで続けた。

結果、泣きながらキャッチボールをする息子。妻も「そんなんでやりたいなんて思うはずは無い」と呆れる程に、僕自身が自分を見失っていた。

 

更に三つ目の失敗をする。

小学校2年のゴールデンウィークに、休み中に1000球キャッチボールをして身に付けようという、強制以外の何者でもない企画を実施した。結果、息子は辛うじてキャッチボールが出来るようにはなった。

「野球の事となると人格が変わる」と妻に言われ、更に野球離れが進む息子。

 

僕は完全に、座礁に乗り上げていた。

 

人は、強制すればするほど、それがなんであれ拒絶するもの。

わかっていてもそうしてしまう自分の未熟さがより一層、噛み合わなくさせていた。

 

その間も、考えることはあった。

野球をそこまでして、本当にやって欲しいのであろうか。野球をやる事が本当に望む姿なのか。何故、自分が野球にそこまでこだわるのか。そもそも野球は義務なのか。

そんな足枷を子どもに背負わして何になるのか。

この数年、僕の心持ちは、あちらに行ったりこちらに行ったりしながら、息子と野球、僕と野球、野球とはどんな競技で、息子にどんな影響を与えてくれるのか。やらないとどんな未来になるか、について考えていた。

 

そして、息子と話しをする事にした。

その日で結論づけるような話ではない。1年かけてどう思うかを少しづつ話していた。

 

息子の考えを聞き、自分の考えを伝える。

その甲斐あってか、小学校3年から野球を始めようという言葉が息子から出始めた。

しかし、腑に落ちない事があった。

野球は、どこまでも父主導だった。

これは、先々見ると全く本人の為にならないという事だけはわかる。

 

息子に、ひとつ投げかけてみた。

お父さんが「野球をやらなくていい」と言ったら、君は野球をやらないか。

 

息子の答えは、イエスだった。

 

僕はそこからしばらく、息子が野球をしない人生を想像してみた。

 

それはそれで、楽しい日々だ。

 

実になるかならないか分からない、決して自分が主体的でない野球に、親子や家族の大事な時間、人生を割く。

そう思うと、もっと本人にとって良い事があるかも知れないな。

ここは息子の気持ち、流れに委ねてみることに心を決めようと考えていた。

 

そこで、想定外の横槍が入る。

妻である。

 

健全な小学生としては、運動のひとつくらいやっておくべきだ、という主張だった。

(実際のところ息子は、低学年対象のスポーツスクールとスイミングを週1回やっていた)

中学、高校と長い時間野球をやらなくとも、小学校だけでも良いじゃない。

小学校でやって、続けたければ息子が判断すれば良いじゃないか、と。

 

そして、息子に妻はこう伝えた。

「お父さんの野球に対する接し方、あなたへの対応はお母さんが見ていても目に余るから、私からお父さんに怒っておいた。だから決してもう、あんな酷い教え方はしない。だから、向いてないと思ったら続けなくても良いから、野球やってみたらどう?」

そしてなんと、これまでの指導法の誤りをこの場で息子に謝罪しなさいと言われた。

 

僕はその場で、すぐに謝った。

 

「すいませんでした」と、心から謝った。

 

すると、その日のその時から、これまでの事が無かったかのように、まるで奇跡のように展開が変わった。

 

息子がキャッチボールに僕を誘ってきたのだ。

そして、すごく楽しそうな表情でボールを投げる。

僕は全く怒らない。むしろ褒めてしかいない。

 

僕はこれまで、野球をやるなら有名なリトルリーグに入った方が、息子の為になるのではないか、という考えだった。

 

その考えもリセットして、息子と話し合って地元の小学生しか入らない、軟式の学童野球に入る方向になった。

週に2日、半日程度の練習がある、そこまで強くは無いチームだ。

 

僕は、息子が野球をやりたいのであれば、チームはどこでも良い。やりたくないならやらなくて良いとまで思っている。

何でもそうだけど、本人に前向きな姿勢がなければ、どんな恵まれた環境、設備、指導者があっても、いかほどもない。

僕は、そんな事にも考えが及ばないほどに、どうかしていたのだ。

 

妻のあの日の一言で、魔法がかかったかのよう

に全てが変わった。

 

投げて、打って、走る。

礼儀、挨拶から指導が始まる競技、野球。

 

僕は、息子が「野球をやりたい」と言ってくれて、とても嬉しい。

 

僕が間違っていた。

何かを「やらせる」なんて、2度と考えない。

それがどんなに良い事であっても。

 

何事も、主体的に取り組んでくれたらそれが一番良い事だから。

 

子供たちには、積極的な心で取り組みたいという事やものに、できうる限りの支援をしていきたい。