生き方や心持ちを極めた人がいるとする。
その極地にたどり着いたとして、一体その先に何を求めて生きていたのだろう。
真理の全てを理解してしまっているとしたら、もうその先に成長が無いということなのだろうか。
この先に成長が無いということは、絶望だ。
成長が無いと自己判断したら、絶望しかない。
キルケゴールは「人間は動物以上であるから、絶望する」と語っていた。
絶望を更なる成長と捉えてこその人である、ということなのだろうか。
真理を語る偉人たちは、皆んな例外なく生き生きとしていた。
そして、人々に生き生きと真理を語る。
中村天風氏は「宇宙の進化と向上に順応するために人は存在する」と言っていた。
つまりは、真理を得た人間も、実はまだ真理に辿り着いていないのだろうか。
宇宙が進化と向上を続ける限り、その先が存在する。いつまでも終わりがないのだろう。
終わりがない事に嬉々とするのか、絶望するのか。それも考え方ひとつなのだろうか。
生き生きと過ごすという事は、機嫌が良いという事だ。機嫌が良いとは、気分良くしているという事だ。
常に機嫌、気分が良い。
それ即ち、幸せであると言うことなのだろう。
不安が全くない。
不安は、知らないからこそ生まれる物だ。
未知のものに対して人は恐怖や不安をもつ。
つまりは知らない事が無い。
真理の全てを理解していれば、不安がない。
宇宙の向上に順応するという成長があるから、絶望も越えていく。
信念が強い。
信念が強くあれば、常に心は動じない。
平穏で機嫌良く、いつも生き生きと気分が良い。
そんな自分になりたい。