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スタジアムの裏側

人を育てるひとになりたい

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他の人の仕事をサポートしながら、自分の仕事をするという機会が増えている。

内容的には専門性を求められる提案と、その納品や稼働後の対応などだ。

僕は、毎日が多忙な部類だ。

忙しい人に仕事が集まるように世の中はできているな、と実感する。

 

何故、忙しい人に仕事が集まるのか。

何故、忙しい人は同じ時間の中で成果を出しているのか。

今のところ考えられる答えは、それを超える量の仕事やプレッシャーを、自らの意思で超えて来たからだろう。

 

ラソンの世界では、10キロ走れる人はハーフマラソンは完走できて、20キロ走れる人は、フルマラソンを完走できるそうだ。

つまりは1キロ走れれば2キロ走れる。

2キロ走れれば4キロ走れる。

4キロ走れれば8キロは走る事ができる。

 

それを、できると思って挑戦した人が、出来る様になっているのだろう。

 

フルマラソンを完走できる人は、逆にハーフや10キロなど、造作もないと考える。

それは時間と量をこなした上での生産性の自然的向上に他ならないし、単純に「できる」という自意識の賜物だ。

 

タイムマネジメントを意識的に取り入れたり、仕事を時系列でこなすといったテクニックもあるだろう。

しかし根本的には、自分の本質的なところである能力を開花させないと、テクニックは小手先の付け焼き刃に終わる。

あまり変わりない、という事だ。

 

いかに、自分の能力を上げるかについては、きっかけは簡単だ。

常に積極的な姿勢で取り組む。

出来ることを出来るだけやりきる。

 

稼働範囲が広くなる事は言うまでもない。

 

必死についていく事で精一杯、なんて言葉を聞いてしまった。

それはその人の率直な感想なのだろうけど、ついていくのではなく、乗りこなして凌駕するプランは想定しているのだろうか。

徐々にやっていくという事について、どのくらいが「徐々」の量なのかに、個人差がありはしないだろうか。

早く仕事に慣れて、といった言葉を聞くのだけど、一体いつからが「慣れた」の境界線なのだろうか。

そういう期間や量やタイミングも、積極的に物事を吸収したり、取り組んで行くという普段からの姿勢の差が表れている。

 

そういう事を厳しさばかりではなく、楽しさややりがいから学べたら、きっと人は育つのだ。

 

そういう人を育てられるひとになりたい。