時間があれば、息子とキャッチボールしている。
息子がやりたいと誘ってくれる。
ストライクを投げたい。
速い球を投げたい。
ゴロやフライを取る練習をしたい。
素振りをしたい。
そして、どうしたら上達するのか質問までしてくる。
こうした方がもっと良くなるという僕からのアドバイスに、耳を傾けてすぐにやってみる。
これまでの事が、キツネにつままれたかのようだ。
いや、今がキツネにつままれているのだろうか、と思うほどだ。
やる気があるかないかで、人間というものはこんなにも変わるものなのか。
人が人を強制的に変える事は、できない。
いつだって、その人が変わる、変化するのは、その人の意思だ。
どこまで行っても、人が他人を変える事は、できない。
その人の心は、操作できないし買うこともない。
北風と太陽のように、影響を与えることはできる。それは強制ではなくて、気づきを与えて自らが意思を持って行動を起こす、という変え方だ。
息子は、野球という競技の面白さに気づいた。
そして、自分が少しできているということに、気づいている。
練習により上達する、向上しているという実感を感じている。
顔から楽しさが滲み出ている。
息子の件を通じて、改めて思う。
僕は北風だった。
力業で連れ出し、スパルタで叩き込む。
そこまでの事をしたつもりはない、という認識を持っているからこそ、それに気づかない。
太陽は、気づきを与えている。
与えているというより、自ら気付くように仕向けている。
太陽の力ではあるけれど、きっかけを与えるだけ。気付いて行動に移すのは、いつだって本人だ。
そして成長した時に、ようやく気付くのだ。
あの時の太陽のおかげだと。
これこそが、人を育てるという事なんだ。
身に染みる気づきを与えてもらえた息子には感謝したい。
この気持ちは忘れずに進んでいきたい。