僕は、素直さが足りない。
はい、と答えて、直ぐに気持ちを切り替えるなんていう離れ業を、昔は持っていた気もする。
いまは、素直さが足りないかもしれない。
チャンスをもらった。
そのチャンスを活かせるのか。
息子に強く注意して、叱るを超えて怒った。
妻からの指摘は、
あなたは話がクドクドと長い
もっと端的に伝えたほうが良い
長々と話して、音にしたら「ガミガミ」で、抽象的。それじゃ全く伝わらない。
僕は、原因、理由、対策を伝えたい訳なんだけど、それが長いと。
1から10まで伝えてしまうと果たしてそれが本人にとって身になることなのか。
真面目過ぎないか?
もっと気楽で良いんじゃないか?
息子に期待し過ぎてるんじゃないか?
厳しくしてもいい事ないんじゃないか?
僕の心の奥で「あぁ、やってしまった」と、考えていることを見透かされたみたいで、素直に「そうだね、変えます」とは言えなかった。
そうすると、答えは肯定ではなく否定になる。
否定で返すと、話はこじれる。
息子に強く怒ってしまった話から、みるみるうちに脱線していってしまいそうになる。
急いで戻す。
そして、また怒りすぎた様子を責められるのだ。
僕はこのチャンスを活かせるのか。
僕も子どもを叱ることは良いと思うが、怒ることは全く本意ではない。
「やってしまった」と、心に思うし、果たしてこれが良いことなのかとも思う。
つまり、妻の指摘は僕も肯定すべきことであり、正しいのだ。
なのに、心から素直になれない。
とはいえ、認めて、接し方を変えることを決めて、その方法を考えた。
最近、僕に足りてない事がある。
・常に笑顔
・人を肯定する
・心から褒める
多分、これだと思う。
心から笑えていない気がするし、人を心から褒めた事があったのか、そして、素直に肯定する事をしただろうか。
特に肯定するとはどういう事なのか。
いま一度考えたい。
七夕にも書いたのだけど、「そうだね」と言えるかどうか。僕は共感が不足している。
栄養素のように、何か食べたら充足するものなら良いのにと思うけど、こればかりはそういう訳にはいかない。
「そうだね、でも」ではなく「そうだね」だ。
物申す姿勢で話を聴くなら、多分それは本当の意味で肯定をしていない。
相手を認める。
相手の話を聞く。その相手は、本当は何を言いたいのか、その話の奥には何があるのか。
それをしっかりと聴き切る。
それが肯定なのではなかろうか。
息子には良いところが沢山ある。
・賢い
読書好きで歴史好き、テストは大体100点で、勉強にも前向きな姿勢。
・関心が高い
多くのことを知りたがり、身につけたい。
特に細かい、難しいと思うことは挑戦したがる。
・基礎体力がある
スイミングの影響か、体力はある。そして、運動神経も良い
・穏やかな心
人に優しく、思いやりがある。優しいから女の子も接しやすいと評判。
・集中力が凄い
集中しだすと時間や周りを完全に忘れる。
一番集中すると、声を掛けても全く聞こえないほど。
時間にルーズ、ご飯をチンタラ食べるという2点が気になるところではある。
それ以外は、気にしちゃいけないな。
妻に言われた通り、自分の接し方を直ぐに変える事にした。
僕が変わらなければ、世界は変わらないから。
笑顔、肯定。
心から気持ちを込めて、褒めてあげる。
僕という人間が良い方向に行くことで、家族はもっと良くなる。
妻に感謝したい。