ひとつの事が、連鎖的に雪だるま式に大きなことになっていく。
「はい」と素直に言える姿勢を持つ事が必要だなと、改めて思う。
まずは僕からそうならないと、それを相手にばかり求めてはいけない。
夫婦の話だ。
本当にささいな、つまらないどうでも良いような事が雪崩のように、大事となる。
その些細なことは、もはや置き去りとなる。
昔話の戦争のような、そんな状態だ。
同意して聴き切る事ができれば、多分それだけで良いのだ。
頼まれごとは試されごと。
クロフネカンパニーの中村文昭さんの名言。
仲良くやっていきたいと、思う。
今日、会社の同僚が亡くなった。
少し先輩なのだけど、それを聞いた時に一瞬では理解できなかった。
病死とのことなんだけど、突然の出来事で詳細はまだわからない。
人は生きている上で、色んな志がある。
それは、生きているからこそだと思う。
志が大きければ大きいほど、死してなお、その志を引き継ぐということもあるのだろうけれど。先輩と志した会社での事は、丁度今年、叶ったところであった。
この先もまだ、一緒に働くと疑っていなかった。でも、現実はそうではない。
お通夜、告別式とこれからあるのだけど、まだ現実味がない。
そして、喪失感のようなものに襲われて、いまここで書いている。
繋ぎ合わせることはできることではないけれど、僕は今、生きている。
身近な家族が大切であればこそ、細かいどうでもいい事でアレコレ言い争うなんて、バカらしい。
寛容さ、「はい」と素直に言える姿勢。
改めて、待ち続けていけたら。